活気ある知床に再び 斜里出身・丹羽さん、Uターンしホテル支配人に 観光船事故きっかけ、被害者支援も模索

 【斜里】オホーツク管内斜里町の知床半島沖で起きた観光船沈没事故で打撃を受けた故郷に活気を取り戻そうと、同町出身の丹羽慎(しん)さん(28)が横浜市からUターンし、7日に町内にオープンしたホテルの支配人に就いた。事故の被害者家族のために役立ててもらおうと、ホテル開業直前にはチャリティーイベントを行い、収益を同町に寄付した。丹羽さんは今後も同様の催しを開く考えで、「人を呼び込んでまちを元気にし、地域や被害者家族のため、自分ができることをしたい」と意気込む。
 「事故の影響でまちが衰退してしまうのではと思うと、じっとしていられなかった」。丹羽さんは、支配人に就いたホテル「BOTH(ボス)」(13室)の前で、故郷に戻った理由を語る。ホテルは木造2階建てで、斜里町中心部の雑木林に囲まれた民有地に立つ。
 斜里町生まれの丹羽さんは「斜里には何もない。外に出たい」と中学卒業後、恵庭市の高校に進学した。神奈川県の大学を経て、東京都内のスニーカー販売会社に就職した。友達も増えて都会での生活は充実し、地元に帰るのは年1回程度だった。
 2020年12月、斜里町で工務店を経営する父の豊文さん(59)から「数年後に新しく宿泊施設を始める。地元に帰って施設の支配人にならないか」と誘われたが、帰郷する気になれなかった。だが昨年4月23日、テレビで沈没事故を知り、衝撃を受けた。事故の影響やコロナ禍で、観光客が減っていることにも危機感が募った。
 小学5年生の時に知床が世界自然遺産に登録された。町内は観光客でにぎわい、まちの大人の表情も輝いていた。「あの活気を復活させたい」。豊文さんが経営するホテルの支配人になると決意し、昨年10月に12年ぶりに斜里に戻った。
 自身も設計に関わったホテルの内装は「知床の森の中にいるような気分になってほしい」と木材を多く取り入れ、1階にサケなど地場産食材を使った料理を出す飲食店も併設した。店は宿泊客以外も利用でき、食事する地元客が宿泊客と談笑する姿も見られ、「ここが観光客と住民の交流の場になれば」と話す。
 事故発生から今月23日で10カ月となり、事故の被害者家族に対しては「町民として事故への責任を感じる。少しでも家族に役立てることを探していきたい」と考えている。…

調子に乗るなよ?慎め、慎、59歳父、ここからだな…